2009年3月26日 (木)

愛蔵の硯石(5)・端渓硯の各種

Photo 1~4までに紹介した硯のほかの手持ちの端渓硯です。

右上 古端渓 (15センチ×10センチ×4センチ)  右下 古端渓 (12.5センチ×7.5センチ×4センチ)  中上 77年に北京瑠璃廠で購入した美しい硯です (12.5センチ×11センチ×2.4センチ)  中下 80年代に南京で購入しました (16センチ×10センチ×3センチ)   80年代に上海で気に入って購入しました (径15.5センチ×深さ2センチ) 円形墨池というべきかも知れません。このほか買い求めた新端渓硯が、息子のところに一面、亡父のところに一面あります。

右下の硯は石質があまりよくありません。普段に私がよく使うのは左の円形硯(墨を溜めるのに都合よく)と中下の南京で購入した硯です。右上の硯は墨を薄めるのによく使います。中国の硯としては、小型の蓋付墨池や筆、墨、文鎮などをセットした小型の緑硯がありますが端渓ではありません。プロの書家ではない私としては二〇年間によく集めた」ものです。硯の話しはこれでおしまいです。

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2009年3月 3日 (火)

愛蔵の硯石(4)・易水宝硯

002 たしか、2005年に訪中した時、中国総工会から贈られた硯です。河北省の易県というところで産する易水硯は、中国四大名硯の一つと説明文にあるのですが、実は私は知らなかった。日本で出ている中国硯の解説書には易水硯というのは見当たりません。解説書には「南端北易」つまり、端渓硯に比する名硯で、歴代宮廷貢品として珍重され、1100年来、受け継がれていたものとあります。一度試墨してみようとも思いますが、まだ手をつけていません。

21センチ×15センチ×1.3センチ 薄いが何層もの石質が重なっています。

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2009年2月26日 (木)

愛蔵の硯石(2)連環式古端渓

001 002 左から ①玉石の彫刻を嵌め込んだ硯の蓋 ②硯の表 ③箱書き ④外蓋⑤硯の裏面。

サイズ 16センチ×11センチ×3センチ

箱書きに成瀬石癡翁が愛玩した連環式古硯とある。山田荷香鑑識 とある。何時ごろ日本に入ってきたものか。それにしても大げさな硯である。骨董趣味でもとめられた古端渓は多いが、これはまあ実用硯であろう。しかし使い勝手はそれほどよくない。石質も最上とはいえない。私の大叔父が大切にしていた硯である。そして、私が入手した最初の古端渓硯である。

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2009年2月25日 (水)

愛蔵の硯石(1)岡山の高田硯

Photo 作者の為書を見てみよう。

高田硯  作州ノ国 旧高田ノ庄住人

    御硯研司 賜城苑  佐久知梅丘

岡山県の名勝神庭の瀧周辺で産出した石を研いで創った高田硯はかって名硯として知られていた。しかし今は産出していないのか、どこでも見ることはない。私がこれを求めたのは、岡山県西北部の勝山というところの硯を売っている家であった。1960年よりも前のこと、当時で3000円はかなり無理をして買った覚えがある。新婚当時、神庭の瀧を訪れた記念として購ったのであろう。25センチ×13センチ×2.5センチの自然石。長らく放置していたが、最近、取り出して愛用している。

硯箱として使っている文箱は、岡山の烏城彫による作品で、蓋裏の梅鉢の紋は直原家の家紋である。作者は嫂の直原睦代さんだ。

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2009年1月 4日 (日)

2009年の書初め

Photo 2009年初頭の書初めの一つです。飛天の絵はかつて敦煌に行った折、求めた拓本の一枚です。

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2008年11月22日 (土)

菅原洸人画伯の絵

Photo 節子との詩画集「馬と鶏」に対して贈られたものです。添付されたお手紙には「このような詩は大好きです。それもですが奥様のデッサンか墨絵が、まことに大胆で縦横無尽、素晴らしい画魂に驚かされます。お二方のこれからも大いに期待させられます。小生の思い出のパリの色紙です。御笑納ください。」と書かれてありました。2003年11月と日付があり、色紙の裏には「サン・マルタン運河(パリ)」と墨書してあります。節子が大切に保存していました。ご紹介します。

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2008年10月 9日 (木)

節子の遺作・4

C052 G018 製作年代はいずれも十年ほど前だと思います。 044 038

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2008年9月23日 (火)

節子の遺作・3

P9220029 P9220050os P922005 大体1990年後半と思われます。

P9220020

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2008年9月22日 (月)

節子の遺作・2

P9220010 P9220023ps 節子のアトリエを整理しています。何十枚というキャンバスが遺されています。廃棄処分はやむをえません。しかし、そのうちのいくつかは未完成のものもふくめて、このギャラリーで遺しておきたい。製作年代はわかりません。ただし、一番左の絵は、新婚当時、紀州の白浜で描いたもの。おそらく一番ふるいものです。 5年前に網膜はく離の手術を受けた以後は、油絵の製作を断念しましたので、おそらく、それ以前の10数年間のものです。未公表のものを中心に後しばらく紹介させていただきます。        P9220039os P9220051os P9220055

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2008年9月10日 (水)

中国の張歩のリトグラフ

Photo

我が家の居間の壁面を大きく占めているリトグラフは誰の作品かと良く問われます。作者は1934年生まれの中国河北省生まれの張歩(チャン・プー)。「彩墨画」の創始者といわれています。1996年?10月、六甲アイランドで開かれた「来日展」で、節子が気に入って買い求めた作品です。来日記念作品ということです。雄大で牧歌的な構図と色彩が、私も気に入っています。

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2008年9月 5日 (金)

節子の遺した画・4

0712 0802 Photo Photo_2

身の回りのものをデッサンし続けました。左から07年12月(蝉の抜け殻と枯葉)、08年2月(イチハツ)、08年3月、08年4月(オダマキ)。家の中に持ち込める素材でした。

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2008年9月 4日 (木)

節子の遺した画・3

Photo 膨大なスケッチが遺されています。発病後、富士山を隅で描いてみようと試みたものがのこされていますが、これは発病の前年05年10月、御殿場から富士山を遠望したときの現地でのスケッチです。発病後の作品をしばらく紹介するつもりですが、これは闘病中の画業につながるものとして紹介します。

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2008年8月21日 (木)

節子の遺した絵・2

0803 今年の3月頃、何枚か書き残した墨の絵です。

墨と筆を使った習作はこれ以後なくなりました。

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2008年7月30日 (水)

SETUKO最後の自画像

0806 0806jpg 2008年6月、自分の最後の姿を書き残したい、との試みですが、なお習作の範囲はでていません。ここで力尽きたのです。右側が最終のものです。6月18日と記入しています。左側はその少し前に、新聞紙に描いています。死亡は7月20日です。公表するべきではない、と思いまどいましたが、生涯かけて絵を描き続けてきて中断せざるをえなかったオンナの無念の記録として掲示します。なお沢山の未公表作品があり、おいおいこのページで紹介させていただくつもりです。今年の3月ころまで、50キロ近くあった体重が、この時点で37キロまで瘠せてきていました。

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2008年6月17日 (火)

旧作の詩書・その2

Photo_7 Photo_8 Photo_9

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旧作の詩書・その1

Photo Photo_2 おそらく14,5年前に展覧した作品の一部です。Photo_3 Photo_5

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2008年5月 5日 (月)

牡蠣の化石

1500万年前の牡蠣の化石Photo_2

これは昭和13~4年頃、岡山県津山市で女学校教師をしていた父が、井戸掘り作業の時出てきたものとして、生徒の父兄からもらったものと聞いています。美作盆地のどこかは今では不明です。

平成元年、伝手があって、当時姫路市立教育研究所にお勤めの、化石研究家の円尾敏照氏にご教示いただきました。

「津山盆地は新世代 第三紀 中新世の地層が広く分布していて、広い範囲から貝化石が産出します。奈義町には現在も牡蠣の化石が産出しますし、柿という地名も残っています。時代は1500万年前後のものです。」というお返事を頂きました。

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2008年4月25日 (金)

チベットの仏像

Photo_2 私の大叔父は、上海の東亜同文書院という大学を出て、鈴木商店に入社、上海の支店か出張所に何年か勤務していました。この西蔵佛はその縁を物語るものです。美しい金銅佛です。諸所にトルコ石が嵌め込まれています。大きさは、うしろの詩集から想像してください。西蔵佛はその胎内に宝石などを入れてあったということですが、この仏さんの底には封を外した痕跡があり、もちろん何も入っていません。なお、我が家には仏壇などはありませんから、いろいろの仏さんは、本棚の本の前で無造作にお座りになっていらっしゃいます。

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インド古代石仏の頭

Photo 大正末期?に鈴木商店のインド、ボンベイ支店長をしていた大叔父が愛蔵していた佛頭です。この顔立ちはギリシャ彫刻の影響を示しています。打ち首になったような頭と鼻梁が欠けているなど、回教徒の進出による仏像たちの受難を物語っているのではないか、と私は想像しています。

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2008年4月12日 (土)

チベット秘仏の佛盒

Photo_4  ずっと以前にこのギャラリーで紹介しましたが、それを取り消し再掲します。雲南省の麗江というところ、東巴教の記念館で購ったものです。 これをよく見ると東巴教はチベット仏教の深い影響をうけたものと感じられます。左側は瓜型の盒 を二つ割にしたその外側で、奇妙な昆虫らしきものが全面に彫刻してあります。右側の二つはその内側で佛さんが彫り込まれています。一番右側の仏さんはまがいもなく秘仏です。寸法は縦10.5cm、横5.5cm、あわせた厚み4.5センチの木製です。

(写真クリックしてみてください。)

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2008年3月20日 (木)

HIROMITHIの詩書(色紙展)

08 神戸百人の色紙展に出した作品の下書きです。鶏毛筆にうすい青墨で遊んで見ました。こうべ祭り協賛「神戸の百人色紙展」は神戸大丸の9階特設会場で、4月23日〈水)~29日(火・祝)でひらかれます。入場無料。

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2008年3月19日 (水)

HIROMITHIの詩書

Photo Photo_2

2008年3月のひょうご詩画展出品の2点です。

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2008年2月12日 (火)

中村光行さんからの贈り物

Photo_3 Photo_2                  奈良市に住む詩人中村光行さんが贈ってくださった「墨画仏像」(麻布菩薩)といわれる飛天像です。これを贈ってくださった理由はわからないが、中村さんの添書が今の私にはうれしいのです。

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2007年11月16日 (金)

直原玉青画伯青年時代の色紙

Photo 去る10月、南あわじ市の森上祐治市議を通じて、南あわじ市滝川記念美術館玉青館に、故玉青氏の色紙3点を寄贈しました。この色紙は、玉青氏が放青と号していた昭和10年頃の作品で、その当時神戸市東部の上筒井付近で表具師を業としていた三木氏から、20年ほど前に私が譲り受けたものです。玉青氏生存中にお返しするつもりでしたが、よい機会もなく今日に至りました。これで公的な保存にゆだねることができ、安心しました。

他の二枚には、画賛というか、玉青自作と思われる句が添えられています。是非機会があればこの美術館にお運びください。

□ 新年の 小庭に遊ぶ 雀か奈

□ 霜よけに 麓の晴の つゞきけ里

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2007年10月31日 (水)

SETSUKOの画廊・33

Photo

樹と夕陽。2007年10月。墨と朱墨で書きました。

幸福の樹とよばれるドラセナマッサンだろうと思います。太い枝の輪切りにしたものを鉢に植えていたら、根がはり、葉が伸びてきました。これはかなり大きくなりそうです。

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2007年9月19日 (水)

SETUKOのひろみち像

Photo_2 1954年のひろみち自画像と、ほぼ同じ頃のスケッチと思われます。目つきの悪さは、21歳当時の彼女の素直な印象だったのでしょう。ご参考までに。

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2007年8月15日 (水)

HIROMITHIの書・7-8

Photo_5 07年8月15日、兵庫県文化賞受賞者小品展のために書きました。プロの書家たちの作品と並べられるわけですが、競い合うということになるはずもなく、気恥ずかしい限りです。歳の功という厚顔ぶりを片隅でさらしている作品を、機会があれば見てやってください。

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2007年7月21日 (土)

SETSUKOの画廊・32

Photo_29 今年の初夏は、我が家の紫陽花も3種類ほどきれいに咲きました。墨一色ではなかなか感じが出せないで、苦労していました。

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2007年5月15日 (火)

SETSUKOの画廊・31

Photo_16 時期はずれですが、見つけ出したので。21世紀に入った頃、こんなデッサンを良くしていました。

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2007年4月29日 (日)

SETSUkOの画廊/30

07_2 牡丹の花弁の感じを、黒一色で書くのはかなり難しいようです。墨絵風に墨の濃淡で書くか、後から薄く色をつけるか。

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2007年4月20日 (金)

ひろみちの詩書・7の3

Photo_11 4月19日、つれあい同伴で、神戸大丸でひらかれている神戸百人の色紙展に行ってきました。こうしてみると硬くて粗な小筆での試みは、あまり出来がよくないようです。自分の字を書くということはむつかしい。

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2007年4月15日 (日)

ひろみちの詩書・7の2

Photo_10 書かれている言葉からして、三・四年前の神戸詩画展に出展したものとおもわれます。

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2007年4月13日 (金)

ひろみちの詩書・7の1

Photo_9 何時、どこで、展示したものやら。写真には2000年8月となっている。

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内藤文雄さんの詩です。

Sisyo 第10回連詩の会、独立短詩賞作品、内藤文雄さんの詩全文です。

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2007年3月 3日 (土)

詩画展用の作品のひとつ

Gyarary1_1 「ひょうご詩画展2007」のために何点か作品を創ってみました。そのひとつ。これを出すかどうかはわかりません。作品の搬入は3月13日午前中です。

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2007年2月15日 (木)

SETSUKOの画廊・29

Yama 3年ほど前、両眼手術を終わっていわばリハビリ中、画用紙に墨とパステルで試みた、背山六甲のイメージです。

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2007年1月14日 (日)

節子の画廊28

Photo_2 直原節子の2007年頭の書初めです。年末に動物園に通っていたのは、駝鳥の後姿をスケッチするためだとか。

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