2009年6月12日 (金)

睡蓮が咲きました

4月植え付けした睡蓮2種のうち、小さいほうが、6月11日咲きました。

P6a P6b

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2007年9月19日 (水)

HIROMITHI自画像

Photo 紙くずの中から出てきました。1954年3月と記入しています。つまり24歳のときの自画像です。

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2006年9月16日 (土)

SETSUKOの画廊・27

Onnnatoyouzi013 油絵・30号。

本人の記憶では、震災前の作品で、放射能への恐怖をテーマにしたもの、ということです。

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2006年8月 3日 (木)

SETSUKOの画廊/26

Odoruonnna010 油彩・50号・キャンパス。

十年ほど前の作品です。

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2006年7月 2日 (日)

東巴文字の壁掛け

Tompab01 2001年夏、中国雲南省の麗江の土地で土産に貰った壁掛けである。そこは納西族(ナシゾク)という小数民族の地。東巴文字という独特の文字が残されている。象形文字の一種といえるだろう。この円い壁掛けは木製、直径17センチ。書かれているのは東巴文字である。文字の日本読みは「勇敢な男」であるらしい。雰囲気は出ている。

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2006年5月 5日 (金)

エビネランの花が咲いた

06ebinwran011 大事にしていたエビネランの花が咲きました。もとは岡山の実家の、隣のタモッアンという人が山から採ってきて大事にしていたものを、もったいぶって私にくれたものです。くれた人はとっくに死んで、隣の家は、跡を継ぐひともなく、ずっと空家のままです。

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2006年4月24日 (月)

若き日の肖像A

Hirodessan 1954年という記入がありますから、直原弘道24歳の顔ということになります。作者は久留島義忠という人。当時、この人とともに小松益喜という画家のアトリエでデッサンを楽しむサークルをつくっていました。旧い書類のなかから、ひよっこり出てきました。今は故人となった久留島義忠氏は「二十四の瞳」の女先生のモデルになったといわれる人で、晩年は共産党の兵庫県会議員も務め、「平和美術展」に出展するなど、終生主として油絵を書き続けました。

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2006年4月22日 (土)

遅咲きの水仙

06suisen01 昨年秋に球根を植えた水仙が、他所の水仙が咲き始めるころになって、芽を出し、4月中頃になってやっと花をつけました。色違い、形違いがいろいろあって、これは予想外でした。馬酔木は日々散りこぼれていますが、梅の樹は、青葉の陰にイッパイ実を育てています。鉢植えのブルーベリーもたくさんの蕾をつけています、岡山原産のエビネランもが花枝を伸ばしてきています。キリシマツツジも咲きだしたし、テッセンの蔓も大分伸びてきています。

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2006年3月12日 (日)

神戸の百人色紙展に

0603sikisi066 この4月19日から大丸神戸店で神戸まつり協賛神戸の百人色紙展がひらかれます。会期は25日(火)まで。私が出そうとしている作品を事前公開。

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2006年3月 3日 (金)

3月3日は梅の節句?

直原家の白梅が程よく咲きました。3月3日に写しました。o6o3ume064

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2006年2月18日 (土)

SETUKOの画廊・25

どうやらもう30年前に書いたもののようです。自画像のつもりだと本人はいっています。setuko20062 SM判の小さいキャンバスです。

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2005年12月 2日 (金)

カラス(節子の画廊・23)

Karasua

まもなく酉年も暮れようとしていますが、この一年、カラスは描き続けた主題のひとつでした。

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2005年11月15日 (火)

晩秋の色

直原家の広大!!??な庭で見つけた秋の色。

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2005年11月 7日 (月)

インカの壺

ペルーに行った人に注文して現地で買ってきてもらった壺です。もちろんミニチャーですが、彩色と模様が気にいっています。

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直原玉青さんの絵と字


南画家として名高い直原玉青氏がこの05年9月30日になくなられました。101歳でした。これは二十数年前、岡山の栗を贈ったことへの礼状として書かれたもの。茶掛け風に表装して、毎年秋、和室に掛けて楽しんでいます。

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2005年10月22日 (土)

朝焼け富士

10月21日朝午前6時過ぎ、御殿場の高原から眺めた富士です。天気はよかったのですが、この時以外は終日雲がかかり、対面することはかないませんでした。

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2005年10月17日 (月)

西蔵族の織物

四川省の黄龍地区で買った西蔵族の手織りスカーフです。
多くのものは赤を基調にした配色でしたが、わたしはすこし地味なものを選びました。幅60cm長さ2mの一部分です。

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2005年10月14日 (金)

坪庭の秋・その2


めずらしくもなんともない花ですが、わが家は前からなんとなく「桔梗」が好きです。桔梗は芋のような根を太らして長年咲きつづけるのですが、その何代目かが絶えて、今年新しく仕入れました。

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坪庭の秋


秋の庭には華やいだ色もなくさびしい景色です。これはムラサキシキブ、小さい紫色の粒粒がつややかに枝を彩ります。鉢植えです。

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2005年9月28日 (水)

レッサー・パンダを抱く

八月二十日、成都のパンダ飼育園で、熊猫ならぬ中国産のレッサー・パンダを抱きました。おとなしくしているのは、林檎のハギレをもらってかじっているためです。

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2005年9月15日 (木)

紅軍長征記念碑園で

ここにスナップを載せるのはどうかと思いますが、これは中国四川省の岷山山脈の中にある黄龍渓谷にむかう途上にある、紅軍の根拠地であった場所です。辺境の地の標高三千㍍の山中に、紅軍遠征の跡があるとは驚きでした。碑の文字は鄧小平のもののようです。

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2005年9月 3日 (土)

北京胡同地区で見つけた花

フートンという旧住宅地街にある郭沫若記念館は旧い建築様式をそのまま保存しています。内庭の回廊の隅で、見かけぬ花をみつけました。

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黄龍の山に咲いていた花

3000メートルの高地の道端に咲いていた花です。だれも見向きはしないけど、健気に咲いているエーデルワイスの仲間でしょうか。

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九寨溝・高山の池畔に咲いていた花

8月22日、九寨溝の上流の池畔に咲いていた花。標高3000メートルでも、いろんな花がさいています。名はわからない。

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2005年9月 1日 (木)

中国の旅・北京

芦溝橋にある、抗日戦争記念館です。37年7月7日にこの地で開かれた戦火が全面的中国侵略戦争の端緒となりました。昔、来た時の展示物は、芦溝橋の事件を中心とするものだったと記憶していますが、今は全面的に展示代えされ、抗日戦争の全体像と、中国共産党の果たした役割を強調するものになっているという印象をうけました。マルコポーロが絶賛し、月を背にした姿を燕京八景のひとつに数えられる石造の芦溝橋は、一般の車輌や人物の交通を遮断して保護されていました。

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中国の旅・九寨溝(7)

日本の渓流とは似ても似つかない豪放な流れが、滝となり、池となり、流れくだります。この光景が冬にはそのまま凍結するそうです。夜ホテルでは、現地歌舞団の公演に招かれました。私は途中退席しましたが、歌舞の水準はかなりのものでした。

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2005年8月30日 (火)

中国の旅・九寨溝(6)

エメラルドのようなきれいな水の輝きは土質の故だといわれていますが。透明度は高く、底に沈んでいる倒木がよく見えます。

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中国の旅・九寨溝(5)


この建物は300年以上昔に建てられたチベット仏教の寺院だと聞きました。観光客のための市がたってにぎやかです。チベット農民の住居は三階建て、1Fは家畜に、2Fは住居用、3Fは穀物などの保管庫ということらしいですが、じっさいには見ていません。

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中国の旅・九寨溝(4)


観光客相手に地域内のチベット族は、家族総出でもの売りや写真屋などで働いています。チベット衣装の正装、子どもが抱いているのは仔羊です。

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中国の旅・九寨溝(3)



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中国の旅・九寨溝(2)

ここの水には鱒科と思われる魚がいましたが、西蔵族は、幼児の死体は水葬にする習慣があるため、絶対にここの魚は喰わないそうです。

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中国の旅・九寨溝(1)


入り口は海抜1800m。総面積720平方キロ。全長55KMの谷筋に114の湖沼、17の滝、電気自動車で上って上から順次徒歩で観光、中ほどにあるレストランで昼食ののち、また別のコースを上から順次渓流沿いに車から降りては徒歩で、計3~4時間は歩きました。疲れました。

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中国の旅・黄龍渓谷(3)

露店風呂ではありません。標高3000Mより上の雪解け水です。この渓谷では、魚類など水中生物は見られませんでした。

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中国の旅・黄龍渓谷(2)

石灰質の岩肌が作り出した光景です。

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中国の旅・黄龍渓谷(1)

岷山山脈の主峰雪宝頂の麓に位置する、全長3.6KMの渓谷です。
段々畑のように連なる池を流れ落ちる清流の幻想的な光景ですが、
酸素不足の金魚のような私(たち)には1時間ほどしか登れませんでした。

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中国の旅・九寨溝へ

九寨溝の空港は標高3500メートルにあります。ここからバスで1時間半ほど、峠を越えて黄龍へ、そして九寨溝へ向います。写真は標高4300メートルの峠からの展望です。

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2005年8月29日 (月)

中国の旅・パンダと対面

予定が縮小されて、パンダ飼育場と、武侯祠にいきました。パンダとあそんできました。

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中国の旅・成都街角で

8月20日、成都(四川省)市内に入りこの店だ昼食をとりました。本場のマーボ豆腐などおいしかったです。

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2005年8月16日 (火)

ひろみちの詩書(3)

兵庫県文化賞受賞者懇話会というものがあって、チャリテイの展示会をやるらしいです。この八月とりあえず作品を送りましたが、これはその下書きです。

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節子の画廊(22)


(21)のデッサンにパソコンで本人が加工したものです。

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2005年8月15日 (月)

節子の画廊(21)

八月十五日の生誕花?は向日葵だと誰かが言っていました。この絵は鉛筆で書いたものです。

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2005年8月14日 (日)

節子の画廊(20)


嫁にいった娘の長女、森下凪子と申します。この子も今既に、小学校6年生ですから、このスケッチを書いたのはもう十年ほども前のことになるでしょう。

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節子の画廊(19)


わが家の初孫を描いた小品です。
このジュニアは現高校3年生ですから、もう15年ほど前に描いたものです。

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2005年8月 4日 (木)

8月の紅い花

灼けている坪庭で、この季節、唯一咲いている百日紅。

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2005年7月19日 (火)

備前焼花筒


昭和初期の備前陶工、西村安次郎春湖の作品と思われます。「細工の名工」と記録に残されています。備前焼(伊部焼)の、焼〆た特徴がよく出ています。

制作時からすでに7~80年の年月が経っていますが、当時の備前焼きの素朴な味わいが
私は好きです。高さ25センチ。箱書きはありません。

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韓国の青磁壺

Photo_15
韓国の現代青磁壺です。十数年前でしょうか。
親しい詩人のI氏が持ち帰り
無造作に呉れたものですが、
ほんとは高価な芸術品です。大事にしています。
高さ35センチ幅20センチの大きな壺です。

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斎白石の蟹図


梅雨があがったので、掛け軸を架け替えました。斎白石という
中国の画家で、清朝時代から現代中国にいたるまで活躍しました。これはその末年に描いた大幅の上半分を写したものです。

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2005年5月20日 (金)

我が家の蛙

庭の隅に鎮座
している蛙。
父が造った
陶製の蛙。
70歳ころ
のテスサビ
かと思われる。
親族の新築祝い
に贈ったもの。
受贈者も死んで
帰ってきた。

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5月の花・ヒチダンカ

シーボルトが発見したといわれる、紫陽花の原種です。花色が次第に変化していくので七段花といわれると聞いていますかどうですか。

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2005年5月11日 (水)

裏庭のタニウツギの花


裏庭で
2mほどになった
低潅木です。
タニウツギ
だろうと
見当をつけていますが、
空木の名を冠する
花は各種あるようなので
見当ちがいかも
しれません。

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2005年5月 9日 (月)

藤まつりと100歳の祝い


八日の日曜日、晴天。
母万里(マサト)の
満100歳を祝って
岡山県和気町の
鵜飼谷温泉にシャシャラ
孫二人を含む約20
人が集いました。
そのあと、和気町にある
日本一の藤公園に立ち
寄りました。
花時はすこし見ごろを
過ぎていましたが、
100種の藤の花が
咲いている光景は、
観て良かった。

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2005年4月26日 (火)

牡丹ひらく


牡丹が咲きました。しかし今年の花数はすくないようです。
モッコウ薔薇も可愛い花をひらきはじめました。エビネ蘭を
植え替えて、可憐な花がひらき始めています。

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2005年4月21日 (木)

春の花を愛でる会


4月21日、素敵な晴天に恵まれ、兵庫県立フラワーセンターで開かれた、「春の花を愛でる会」に招待され、脚つき、弁当つき、お土産つきで楽しんできました。まだ櫻がのこり、チューリップが盛りという広い園内を散策してきました。

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2005年4月17日 (日)

弘道の詩書・2

おなじく、2000年の二人展に出されたもの。詩人寺島珠雄への悼み歌。

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節子の作品・18

おなじく、2000年の二人展にだされたものです。
和紙・墨・彩色で、幅100CMほどの作品。

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弘道の詩書・1

前期の二人展に出したもの。

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節子の作品・17


2000年7月の

二人展に

出品された。

油彩。

30号。

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2005年4月10日 (日)

王子の櫻・4


児童公園にて

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王子の櫻・3

青谷川沿いです。

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王子の櫻・2


テニスコートは満開の桜で囲まれています。これはその一隅に群れていない老樹が、ゆうゆうと枝を広げています。

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王子の櫻・1

4月9日、おくれていた
櫻が一挙に満開。
天気のいい土曜日、
花見の宴も満開、
それを避けて、握り飯
持参の家族連れも
多かったです。
この白い櫻、だれか品種を
教えてください。

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2005年3月31日 (木)

馬頭観音菩薩像

東神戸、摩耶山の
登山道の入り口
由緒あるお寺の
馬頭観音さんは
参る人もないしじまの
春の日射しの中に

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2005年3月26日 (土)

白すみれ

裏庭の椿の樹の下やサツキの木の横に群生している、スミレの花が今年は白一色です。原産は湖北地方、普通は紫の花ですが、姿を消す年もあり、花を全然つけない年もあり、今年のように白一色の年もあります。もう20年近くも棲みついています。

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2005年3月12日 (土)

Setukoの作品・15


目の手術ののち、眼をいたわりながら描いていた作品のひとつです。
墨とクレパスなどを併用していたようです。

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2005年2月23日 (水)

我が家の名花

2月下旬、やっと咲きそろいました。おなじ白梅ですが、上品で芳醇な姿がわたしの気に入りです。眼をつむって夜道にふっと薫る、かすかなその存在の主張をあなたの心で匂ってください。

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2005年2月19日 (土)

貝原六一の絵

神戸にカイハラロクイチという
素敵な画家がいました。
昨年七月二十九日、80歳で
亡くなりました。
20年ほど前から、病に倒れ
長い療養生活をしてきました。
行動美術協会のいいリーダーで
私たち「輪」という詩グループ
の創設以来の仲間でした。
この絵は、30年ほど前、
私が購入したものです。
最小の油彩絵です。

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2005年2月16日 (水)

Setukoの絵・14


これは
1990年3月に刊行された
直原弘道エッセイ集
『昭和という時代』の
表紙カバーです。
そのために描かれたのではなく
この年の「遊び展」の出品
作品でもあった
という記憶がある。
作品は和紙に墨・彩色、
縦50cmほどだった。

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2005年2月15日 (火)

安東次男の書


二月、掛け軸を架け替えます。
これは流火堂こと安東次男の自作句書。
20年ほど前でしょうか。彼の実妹である岡格子からもらったものです。
安東次男は私の従兄弟です。近年死亡しました。

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2005年2月12日 (土)

山下摩起のすずめ

   Photo_2               神戸で育った画家山下摩起の小品です。
神戸市立博物館に作品が収蔵されています。
これは故画伯の作品散逸を惜しむ仙賀さんから
頂戴して、私が茶がけ風に表装しました。

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2005年2月 9日 (水)

Setukoの作品・13


「作品」の3番目に

紹介した作品

とおなじく、

1998年の作。

油彩・80号です。

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2005年2月 8日 (火)

Setukoの作品・12


この作品も1998年
頃のものです。
油彩50号でしょうか。
震災後、樹木をよく
描いていました。それも
ポプラなど冬の裸木を。
荒涼としたなかに
新しい芽ばえが
潜んでいるが、まだ
他者には感知できない。
そういう心象風景も
いわば震災のトラウマ
だといえるかも知れません。

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Setukoの作品・11


これは1996年6月に
出版された
『直原弘道の大震災私記』
の表紙カバーに
使われた作品です。
震災後の
神戸風景の一駒を描いた
数少ないスケッチです。

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Setukoの作品・10


2000年の作品です。

28×40cmほどの

サイズです。

前の9のときと同様

印刷物からの複写です。

この第六回をもって

隔年の作品展は

一応中断されました。

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Setukoの作品・9


1998年の作品。
本来は白無地に墨。
写真から印刷した
ものを転写したので
微妙な濃淡が消えて
しまった。

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2005年2月 6日 (日)

Setukoの作品・8


1996年の作品。
和紙に墨で書いています。
「燦」40×42cm。
陽光のなかの向日葵、
やはり震災直後の、
心象をあらわしています。

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ブロンズレリーフその2

これは、1990年11月、
兵庫県教職員組合文化賞
の芸術文化賞を受けたとき、
副賞としていただいたもの。
直径12cm前後の
広島昭道という人の造った
ブロンズレリーフです。実は
どこを探しても見当たらず
同じものを借りてきて
デジカメで写しました。

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2005年2月 5日 (土)

Setukoの作品・7


1994年の作品。

第3回作品展出品。

この頃 紙風船を素材に

することに関心をもった。

油彩・30号。

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Setukoの作品・6


1992年の作品です。

第2回作品展にだした

もの。油彩30号。

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2005年2月 4日 (金)

Setukoの作品・5


1990年初冬。
「女・おんな・etc」
という作品展での、
作品のひとつ。
「纏う」P20号。

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2005年2月 3日 (木)

Setukoの作品・4


前の作品と同じ
時期のもの。
あまり大きくない
油彩絵です。

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Setukoの作品・3


おなじく、1998年作品展に出した作品です。紙風船を作品構成のなかに取り入れようと試みていますが、果たして成功したかどうか。
油彩、50号。

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Setukoの作品・2


 1998年の第五回作品展に
出したものの一つです。
油彩、80号。
この頃、人体にかぎらず、
かなりデフオルメした
作品創作を試みています。

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2005年1月30日 (日)

Setukoの作品・1


順不同で直原節子の作品を
お眼にかけます。若いとき
から書いていたのですが、
作品の保管もわるく、
新しく写真に撮ることも
難しいので、お見せできる
のはほんの一部です。
この作品は震災後、96年頃
に描かれたものと思われま
す。油彩、30号。

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2004年12月12日 (日)

ブロンズ像・笛を吹く牧童


堀口泰造という人の作。
高さ40cmほどの作品。
1972年に、個展で観て
一目ぼれし、当時とし
ては大金の、ン十万円
をやりくりして購入し
たものです。

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2004年12月11日 (土)

ブロンズのレリーフ・その1


神戸の彫刻家
納健氏の若かりし
頃の作品です。
40年ほど前、友人
の結婚式で引出物
として貰いました。
納氏は彼の縁戚だ
ということです。

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亡父の河童三態・その3

A1 おなじく油彩8号です。「百舌のはやにえ」と題がつけられています。河童、カワタロウなど全国で30以上の呼びかたがあるようです。
蛙や川獺などから連想された、深い渕にすむ農民がつくりだした空想の生き物です。

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亡父の河童三態・その2

B 同じ時期に制作されたもの。「谷間の花」と名付けています。油彩8号です。
河童伝承は岡山県にもあり、最近では岡山県北に住む
詩人の皆木信昭さんが『ごんごの渕』と題するいい詩集をだしておられます。

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亡父の河童三態・その1

C 亡き父の河童の絵です。「密林の花」と題がつけられています。油彩で6号。
父の注文で油絵のための道具一式を私が調達した覚えがありますから、父の50歳代後半のものでしょう。

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2004年12月10日 (金)

わたしの能面・補遺の3(若女)


アルバムから出てきたものです。

展示の写真ですから、私が

打ったのには違いがありませんが、

現物は手元にないようです。

若女は小面よりも、すこし

知的な美しさをもった面です。

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2004年11月26日 (金)

わたしの能面・補遺の2(十六?)


アルバムの中にあった写真です。
しかし私にはあまり記憶がない。
「十六」かと思うのですが
前に出した「十六」とは眉の入れ方
も違うし?
一応、龍右衛門作「十六」の写しと
しておきます。詳しい方が居られたら
ご教示ください。

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2004年11月20日 (土)

わたしの能面・補遺ー雪の小面


 アルバムのなかから見つけました。現物
はさる方にお譲りしたので、その所在はわ
かっています。
 小面の面は大勢の作者によっていろいろ
作られていますが、豊臣秀吉が愛蔵したと
つたえられる雪月花の三種の小面が有名で
す。これは雪の小面の写しです。
 比べてみると、雪月花それぞれの違いが
わかります。
 わたしは雪の表情が好きで、もう一面手
がけていたのですが、完成に至らず、他の
未完成品とともに放置されています。

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文化賞受賞式の後


わたしの処理がまずいためピンぼけの写真になってしまいました。前列中央が兵庫県知事、その右隣が県会副議長、知事の左隣が私。

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2004年11月 9日 (火)

兵庫県文化賞を受賞

 Photo_3 このたび、平成16年度兵庫県文化賞をもらいました。
 11月8日兵庫県公館で、文化賞二団体と四人、科学賞五人、スポーツ賞はオリンピックメダリスト、パラリンピックメダリストなどを中心に十三人、社会賞は一団体と二人の四賞受賞者が県知事から賞を受けました。
 文化賞は関西歌劇団、柿衛文庫、生花の木村禮子さん、テノール歌手の田原祥一郎さん、作家の寺林峻さん、と私です。
 右のブロンズ像は、文化賞の副賞で木下繁という人の作品だということです。

 関係者の皆さん、いろいろお世話になりました。

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2004年11月 2日 (火)

わたしの能面・その21(大べし見、おおべしみ)


「べしみ」とは口をかたく結ぶ「ヘシム」から訛ったもので、大べし見は天狗の増上慢をあらわしたものという。小べし見は鬼神をあらわし、大べし見はより魔性をあらわすというが、わたしには無邪気な尊大さが秘められているように思えてならない。すべての点で、大ぶりで誇張されたいる。眼は薄い銅板に金箔をほどこしはめ込んでいる。これはシカミや般若もおなじである。震災前、おそらく仕上げたものとしては最後の作品で、友人の注文に応じたものだが、なぜかまだ手元に置いている。ほかにも紹介したい作品はあるが、現物は手元になく写真も探し出せないので、私の能面シリーズはこれで一応終りとしたい。(「べし」という字は病だれの下に悪という字をはめる。どうしても表記できなかった。)

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2004年10月30日 (土)

わたしの能面・その20(姥、うば)


高砂の尉と姥といわれるように、

前出の翁面と対応する老女の面

です。

現実の老婆というよりも、神性

を備えた化身としての老嫗とし

て設定されているようです。

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私の能面・その19(翁、おきな)


人生を達観した長老を思わせる翁面。

柔和な、祝い事の舞に似合う、癒し系

の顔ですね。

前出の尉面とおなじく、古式の舞曲面

の系譜を伝えます。

造りは、かなり大ぶり、厚手、素朴と

いった感があり、発達した能面の繊細さ

はみられません。

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2004年10月28日 (木)

私の能面・その18(黒色尉、こくしきじょう)


これも舞楽からきた古式の面で、切り顎

や、頬の図案式模様などで特徴がある。

3番叟など祝の席で舞われる面で、

いわゆる目出度い面である。

私はこれが好きで二面制作して

その一面を友人の新築祝に贈った。

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わたしの能面・17(父尉、ちちのじょう)


神舞ものにつかわれる老人面だが、

ごらんのように、切り顎といって、

頭上部と下顎部とが、はじめから

切り離され、紐で繋がれている。

能面としては古式の様式をつたえ

るものであろう。

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2004年10月26日 (火)

わたしの能面・その16(阿古父尉、あこぶじょう)

前出の小牛尉と似ているが、

すこし品格が落ちると

言われている。

しかし柔和でととのった

顔である。

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2004年10月25日 (月)

私の能面・その15《小牛尉、こうしのじょう)

小牛清光という人の創作になるのでこのように
よばれています。小尉(こじょう)ともいいま
す。尉は老人の面ですが、これはそのなかで
品位が高いものとして使用されます。
下歯列がないのが他の尉面と違います。
髪や髭は小さい穴をあけて埋め込まれ、
使用されているのはたしか馬の毛?です。

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2004年10月23日 (土)

わたしの能面・その14(十寸髪、ますかみ)

この十寸髪(ますかみ)という女面は、

神舞物や修羅能に使われるというが、

私は実際は観たことはない。また雑能の

うちの狂乱ものでもつかわれるようである。

どことなく、悪意や敵意をはらんでいる

ようで、わたしは好きになれない。

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2004年10月22日 (金)

わたしの能面・その13(孫次郎)

やさしく寂しげな女面です。

その昔、孫次郎と改名した金剛右京久次

が死んだ愛妻を偲んで、その面影を

写したものといわれています。

面長の知的な顔で、病弱であった女

を思わせます。

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私の能面・その12(ふかい)

この深井面もぽつぽつ脂が染み出ている。

子どもをうしなったりした中年女の深い

哀しみにひしがれた表情を写したが故に

「深井」と名付けられたという。

中年女を写した面では、ほかによく似た

「曲見」(しゃくみ)というのがある。

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2004年10月21日 (木)

私の能面・その11(万媚、まんび)

 現存している女面のなかでも、もっとも色っ
ぽい表情を見せている万媚です。
 全体として女面の表情は、歳をとるほど小鼻
や口元が緩んで下がり気味になるように工夫
されています。万媚の妖しい美しさは、他の
若い女面に比しても、唇の切れ込みが高く深
いという微妙な違いからも来ているのだと教
られました。
 私としては、比較的後期に打った面です。

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2004年10月20日 (水)

わたしの能面・その10(蝉丸、せみまる)


 弱法師(よろほうし)や景清(かげきよ)などと同じく盲目のさすらい人の面で能では特定曲の専用面ということである。盲目をしめす眼の刻み方に工夫がある。
 写真に点々とあばたのように写っているのは、生地の脂が年数を経て浮き出してきているもので、塗装にかかる前に十分に脂抜きをしなかった私の落度である。能面の木地は木曾檜、面打ちの最終段階で2週間ほどアルコールにつけ、その後、煮沸して脂気やアルコール気を十分に抜き、よく乾燥してから、表側に胡粉を塗りかさねるのである。

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2004年10月19日 (火)

わたしの能面・その9(中将)


壮年の男子、貴族一門の武将でしょうか。

源平合戦において討死していった平家の

公達を想像してください。

そこはかとなく憂愁感をただよわせ、

八字に刻まれた眉間のしわが

虚無感と苦悩をあらわしています。

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2004年10月18日 (月)

私の能面・その8(十六)


これも童子面のうちに入るのでしょうか。

「十六」という名称は年齢を思わせます。

たしか、この面を「敦盛」と呼んでいた

記憶はありますが、正しいのかどうか。

滅亡していった平家の公達敦盛の塚が

神戸にあります。

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私の能面・その7(童子)


若い男の面では、

童子や喝食(お寺に住み込んでいる半俗の

前髪をつけている若い男)がありますが、

童子はかわいらしい少年のイメージです。

前にお見せした菊慈童という妖精面に比して

より人間的なものといえます。

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2004年10月16日 (土)

私の能面・その6 (しかみ)


「紅葉狩り」の舞台で鬼に使います。
 
この面の制作年ははっきりしていて、

1981年の社中の

第5回能面展に出品したものです。

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私の能面・その5(はんにゃ)


般若面もいろいろあって、

これは赤般若です。

紅葉狩りの舞台で

使われるようです。

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2004年9月28日 (火)

私が打った能面のうち・4(菊慈童)


これは「菊慈童」という、妖精面の一つです。
少年の面ではほかにすこし人間くさい童子面があり、
それも二種類ほど作った記憶があります。
しかし、現物がさがしだせるかどうか。

私は自分の好みからなのか神仙面や妖精面が好きでした。
おそらく1979もしくは1980年の頃、まだ初期のものです。

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2004年9月27日 (月)

わたしの打った能面のうち・3


ずいぶん初期につくりました。

あとでもう一種作ったとおもいますが

「猩々面」といわれるいわば妖精面の一つです。

中国式のバッカス、酒仙ですね。

酒好きのいたずら好きの若い男が

私のイメージでした。

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2004年9月26日 (日)

私が打った能面のうち・2小面(こおもて)


 
 やはり能面打ちに興味をもつ者は、
美しい女面から入っていくことが普通です。
 これは「小面」(コオモテとよばれる
若い女の面の一種で、種々名の付いた名作が
のこされていますが、本物はめったにお目に
かかれるものではありません。
したがって師匠が打った写しの面をお借りして
制作するということになります。
 5、6作はつくりましたがそのほとんどは
四散してしまいました。
 この写真には78年3月作?とあります。

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私が打った能面のうち・1(ぞうおんな・節木増)


 かつて、十年あまり能面打ちに入門し、
精進したことがあります。
何十面かはつくったものの、その多くは四散し、
手元にあるものも整理できていません。
これは「節木増」という女面の写しですが、
おそらく、私の最初の作品です。
といっても、先生やら兄弟子たちが
手取り足取りしてくれて仕上げたものです。
写真には77年10月と記してあります。
この作品は手元に残っているはずです。

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2004年9月25日 (土)

神戸の銅鐸


頂きものばかりですみません。
これは神戸の古墳から発掘された銅鐸のミニチュアです。
臼で籾すりか、あるいはどんぐりなどの殻を砕いている
古代日本人が線刻で描かれているのが見えるでしょうか。
これは2000年に私が神戸市文化賞を頂いたとき、
その正賞として頂戴したものです。

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日本の馬

見ようによれば、一番馬らしい馬の像です。高さ30センチほどの鋳造の馬です。「栄光」という題がつけられていて、環水作という木札がついています。日展作家とか聞きましたが、芸術的にすぐれたものかどうかは、わたしにはわかりません。かつて、さる業界団体の何かの記念式典があって、そのときの引き出物ですが、参加者はみんながもらったものか、私が特別にもらう何かの理由があったのか、いまは定かではありません。

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中国の銅馬


いつの時代とは定かにはしませんが、
古代中国の青銅器全盛時代に作られた像のミニチュアです。
原像の大きさはしりませんが、これは高さ15センチくらい。
数年前、北京で、さる団体から公式のプレゼントとして
頂いたものです。

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唐三彩馬の複製


私が午年だからでもないでしょうが、
馬の像がいくつか私の寝室の片隅に居座っています。
これはもう25年も前に、中国から持ち帰ったものです。
古墳などから出土している、
唐三彩の焼き物のイミテーションですが、
その当時は、国交回復の直後で、
まあ土産の目玉商品だったでしょう。

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2004年9月24日 (金)

父の絵・その11

 絵心のある女性なら、
さしずめ飛天・技芸天などが好みという人が多いでしょう。
 天馬のイメージは男のものか。
 蝋細工の羽根をつけてひたすら太陽めがけて昇っていく上昇志向と、
太陽に近づきすぎて羽根が融け墜死するにいたる破滅型思考をふくんだ俗人のあこがれの形象化だという私の解釈はどうですか。
 ちなみに私の生まれは庚午(かのえうま)です。

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2004年9月19日 (日)

父の絵・その10


 このような牛や鶏を、父はよく描きました。
戦後、大量生産と大量消費の時代が訪れ、農村
にもその影響が出始めるまでは、牛は一つ家に暮す大切な
労働力でしたし、鶏はケージに閉じ込められる
前の、比較的自由な家族の一員でさえありました。
今日農村に行っても、このような家畜類を眼にすることは
ほとんどないでしょう。

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父の絵・その9


岡山県北の小地主の一人息子として生まれ、
戦後の40年間もずっと家郷たる農村で暮らし
ましたが、農作業についてはほとんど経験を
持たなかったはずです。したがって、農、および
農家の暮らしについての思想は、父の主体的、
体験的思考からでたものではなく、
宗教的、農本主義的幻想に立つものであった、
といえると思います。

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父の絵・その8

 卵から孵ってきたのはどのようなトリでしょうか。
 鶏にせよ猛禽類にせよ、誕生してくるときの姿は
このような猛々しいものではないような気がします。
 とすれば、この雛の持っているなんとなく不気味な
雰囲気は、やはり書いたときの作者のなんらかの心境
を表出しているということでしょう。

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2004年9月15日 (水)

父の絵・その7

父のなかには、牛や蛙やなどのいきものの擬人化が、
詩のなかにも絵の中にも、強い傾向として遺されています。
この絵には、森のなかに、十字架にかけられた人があり、
その周辺を、家畜や森の生き物が取り囲んで見上げている、
という構図です。その説教を鳥たちも群がって聴いたという
アシジの聖フランシスコの伝説がイメージされているのかも
しれません。しかし私の父は、聖者にもシャーマンにも
なれなかった。それでよかったのです。

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2004年9月14日 (火)

父の絵・その6


内緒の話ですが、父は中庭に小さな池を掘って
大山椒魚を入れていました。
長年棲んでいましたが、ある日突然、姿を消しました。
両棲類ですから、散歩に出て、
そのまま姿をくらましたのかもしれません。
この絵にある山椒魚はずいぶんやさしい顔をしていますが
実物はもうすこし醜悪です。
ずいぶん長生きの生物のようです。

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父の絵・その5

おそらく50歳代の作品かと思われます。父には五人の孫(男2人女3人)がありその生誕のころに、この絵を書いたのではないかと私は推測しています。一種の充実感が反映していますし、平和な未来への祈りがこめられている、と私はこれをながめています。


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父の絵・その4


父はドンキホーテについての関心を

持続させていたようです。

解釈はいろいろあるでしょうが、

その喜劇的な歩みに、自己の挫折感を重ねていた

という見方もなりたちます。

人生論的心象風景として私は見ています。

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2004年9月 9日 (木)

父の絵・その3

Photo_4  父が三十歳前、時代でいえば大正末期から昭和初期に描いたものと考えられます。写生というよりも心象風景でしょう。当時神戸で教員をしていた叔父(といっても同年齢の)に贈り、結核で若く死んだ叔父の細君がずっと保管していたものを、老齢化しての身辺整理の際、私の手元に返還されてきたものです。私の著書『驢馬のいななき』の表紙カバーの挿画として使用したので、見覚えのある方もおられるでしょう。

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父の絵・その2


 これは、父が七十五歳の頃、
私が調達した鑿や彫刻刀で、
版木に彫ったものです。
彫刻としては、おそらく最後のものでしょう。
七十七歳を記念して刊行された
詩集『驢鳴集』の口絵に使いました。

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2004年9月 5日 (日)

仏さんの仲間たち


いやに仏さんが我が家に住みついているようですが、宗教心もなければ仏壇や神棚もありません。
左の小さいのは、20年ほど前、中国で、八達嶺に行った途上、嘉ヨク関で一休みしたとき、現地の老婆から買ったもの、確か5元でした。
大きい(といっても台座ともで15センチくらいの高さ、小さいのはそれで推量してください。)方は誕生佛とでもいうのでしょうか、神戸在住の彫刻家が近年焼き物に凝って、その作品展で香炉一点を購ったとき、サービスで貰い受けたものです。

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おやじの絵・1

私の父親は
おもに色紙ですが、
かなりの絵を書きのこしています。
そのうちの何枚かを、
このギャラリーで掲示したいと思います。
この絵は色紙に水彩で書いています。
1959年と記載されています。だから50歳代のものです。
父の年代は無声映画時代に始まるチャップリンの時代
だったのですね。

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2004年8月31日 (火)

民芸人形三体(タイ、メキシコ、ブラジル)

Photo 右から順に、タイ人形は木製、メキシコ人形は石彫、ブラジル人形は木製に貴石嵌め、いずれも高さ20センチほどのもの、数年の時間差で我が家に漂着、玄関の棚にならんでいます。

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2004年8月29日 (日)

メキシコの仮面と石鏃(イミテーション)

メキシコのツウーラ遺跡で住民から入手したものです。もちろん観光客用のイミテーションです。
Photo_4   

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